中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

【ダイエット法が消え続ける理由】医者は栄養学必修ではないと知っていますか?16時間断食/糖質抜きダイエットが正義?あなたの身体に合う方法を選んで欲しい【お米生活6:4】【医者は嘘つきなのか?】



みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は巷に溢れる16時間断食や一日一食ダイエットについて、柏原ゆきよさんが

お話しされている動画のご紹介です。

 

 

 

内容は

 

●16時間断食や一日一食ダイエットは、短期的にはいい結果が出ることが

多い

 

●短期間で何キロ瘦せた、というのとダイエットが成功したということとは別

 

●多くのダイエットが流行っては廃れる、の繰り返しなのは、一時的に結果

が出るけれども、それを続けるのが難しいからとか、リバウンドしてしまったり

、とかが理由

 

●ダイエットに大事なのは、長い経験を経て、安全性が確認されているとか

高価が実証されていることの方が価値がある

 

●例えば16時間断食では短期的にはいい結果が出るが、その後、体調不良

になったり、食欲が乱れて過食になったりというケースがある

 

●一部の人が良い結果が出ているけれども、健康被害などの悪いところも出て

いることも結構ある

 

●いい面よりも悪い面はどうかというリスクを重視してみる

 

●ダイエットは長期で続けて安全であること、そして年を取った時にも

ずっと続けたら、より元気で楽しく長くいられる状態、というのを

重視

 

 

●健康診断の数値は食事を減らすことで改善できるが、そのために栄養状態が

悪くなっても、数値は良いという判断になる

 

●数値だけではなく、顔色がよく肌がツヤツヤしてるか、表情が穏やかになって

いるかということも含めて判断する

 

●食べるのを減らす方法は、結構老け込みやすい。シワが増えたり老けた感じに

なるケースが多い

 

●医者は栄養学を学んでいないので、専門的に栄養の事までことまで理解して

発言される医者は極めて稀であることも知ること

 

 

【ぼくらの国会・第494回】ニュースの尻尾「高市騒動 国民への警鐘乱打」(青山繁晴参議院議員ブログより)

 



みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回は、いま地上波のニュースでよく取り上げられる、高市経済安保担当大臣の

罷免の噂について、青山議員がお話されている動画がありますのでご紹介いたします。

 

 

さて、いつも青山議員の動画の内容を書いてそれで終わりが多いのですが、今回は

この動画の青山議員での内容を聞いていて、ふと「あ、これ自分の職場にも似ている

ことがあるなあ・・・」という事柄に出会いました。

 

 

それは、今回の高市大臣の件では「○○ならやめる!」といった売り言葉に買い言葉、といったやり取りがあるわけですが、実は私の職場でも、役職についている人の中に、すぐにこういう発言をする人がいるのです。

 

 

私も最初の頃はその人のそういった発言を真に受けて、それこそ真剣に心配したり

同情したりしていたのですが、後々、時間が経つにつれて、そういう発言が何十回と

繰り返された挙句に、結局のところ、実際は一度も辞めることはなく、今も平然と

同じ役職のままなのです。

 

 

 

多分、こういう人ってほかの会社にも見かけるかもしれないのですが、要はその人の中に「計算」もあるってことが、後々になってわかりました。

 

 

いわゆる「駆け引き」ってやつです。

 

 

現に、その人の口からも「駆け引き」という言葉を言っていたことがありますので、

間違いありません。

 

 

こういう人は、周りの人に気を配るところが欠けています。

「自分が中心、自分だけが正しい」

が強く出ます。

 

 

また、この事に関連して、私の知人で、過去に政治家の秘書をやっていた人がいて、

その政治家秘書時代の時のエピソードを聞いたことがあります。

 

 

それは、政治家の秘書というのはたくさんいて、その中でもいかにその仕える

議員に気に入ってもらえるか、を常に競っているところがあります。

 

 

ある時、その秘書達が集まって

「明日、議員はどこそこの駅に何時着で新幹線で行く。あんな○○な野郎はみんなで、

それをボイコットしてやろうぜー」

などと檄を飛ばしていた秘書がいました。

 

 

当然日頃から多かれ少なかれ不満がある秘書達は、それを真に受けていました。

 

 

ところが・・・

 

 

 

当日になって、結局はその秘書達のほとんどは先回りして、その議員が到着する

新幹線の駅に迎えに行っていたそうです。

 

そしてなんと、先頭をきって

「ボイコットしてやろうぜー」

などと檄を飛ばしていた秘書の一人は、なんとその新幹線に議員とともに、既に

乗っていたのだとか・・・

 

 

 

なので、こういう周りの人には無頓着な人の言動に乗せられてはいけません。

 

ましてや、一緒になって「俺も辞める」などとその人を味方をしたとしても、

すぐに裏切られる結果となりかねませんので、感情に乗せられず、冷静に

判断する必要があります。

 

みなさんも心当たりありませんか?

 

 

 

 

 

さて動画の内容ですが

 

●今回の騒動について、例えば大臣や副大臣政務官たちが役所の人たちと話すことは日常にあり、、その役所の人たちはその時の話しを当然メモをする。

そのメモを忙し過ぎるので当然チェックすることまではできない。

 

 

そのメモに例えば大臣を批判するようなことが書かれていたら、それが行政文書

で「大臣がこんなにヒドイことを」となって、それこそ「やりたい放題」になって

しまう

 

●ではそのメモをいちいちチェックするのか?それは時間的にも無理。

 

●評論家などは、予算委員会で予算と関係ない今回の高市大臣のことで時間を使って

いることに対して「予算は衆議院が優先されるので、参議院で仮に審議が終わらなく

ても予算は自然に成立する」などと言う人がいる。

 

でも、それが通るならば参議院の存在理由がなくなってしまう。

 

そもそも予算委員会が止まってしまうかもしれない、というのは実は重大事項。

 

●野党の杉尾議員の対して、高市議員が答弁で

「私のことがそんなに信用できいないのであれば、もう質問なさらないで下さい」

 

は、国会議員の質問権に干渉した、または封じようとしたとと取られてしまう。

 

実際には高市大臣の真意は全く違うところにあるにせよ、国会審議で出てしまった。

 

そしてタイミングとしては早くしないと年度を越えてしまうと、予算委員会

止まってしまって、予算が成立できなくなり、大変な迷惑をがかかってしまう。

 

それに対して「自民党が強行して採決すれないいんだ」という意見があるが、

まず国会は意見の違う人と議論する場であるということ、

そして、野党の小西議員も杉尾議員も選んだのは主権者の国民であるということ、

だから強行採決の考えは正しいとは言えない

 

 

●野党は高市大臣を追い込んで、首を取ろうとしている。

自分で「辞めます」と言わせようとしている

 

●岸田総理は高市大臣を罷免するつもりは全く考えていない

 

●青山議員は、ちょうどウクライナに出発直前の岸田総理に電話

高市大臣をお守りください」と伝言。

 

●再び予算委員長に青山議員が電話し

質問権の部分のみ撤回するところまでにと進言

 

 

●それに対してマスコミの報道は、高市大臣の発言を切り取って

「謝罪しなかった」

「撤回して謝罪した」

などと報道

 

●嫌なことも、自分の好きなことも一緒に共存しているのが民主主義であり、

ある一つのこと以外は全部封じ込めて、その一つのことだけを好きになれ、

というのが独裁主義

 

●青山議員は予算委員を6年務めたが、その6年の間に予算の話しを

聞いたことは一度もない。

 

いつも野党は「週刊誌にこう書いてある」などと週刊誌のコピーを振りかざしたりする

 

 

 

 

 

 

 

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「ギター買ったぜー」の記事のアクセス数がドエライことに・・・

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

 

3日前に「EVH wolfgangギターを買ったぜー」と記事を出しました。

 



 

ただの自己満の自慢記事だったのですが・・・

 

 

記事を投稿したその日、最終的にアクセス数は300PVと、

 

「まあいつもよりアクセス数伸びたなあ」

 

 

なんて思っていました。

 

 

 

 

ところが、次の日の日曜日の8時頃、アクセス数を見てみたら、な、なんと・・・

 

 

 

800を超えていた・・・

 

 

 

一瞬我が目を疑った・・・

 

 

 

 

そしてお昼過ぎには・・・

 

 

 




 

 

エッ(゜o゜)

 

 

 

 

と、ドエライことに・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、はてなブログを始めて苦節3年と4か月・・・

 

 

今までに投稿した記事の数は既に700を超えたが、これまで、いわゆる

はてブ砲」

なるものとは全く無縁のブログ運営でして、たまに他のブロガーさんが、記事で

 

 

『「はてブ砲」で何万アクセスキター!』

 

なんていう記事を見ながら、

 

 

「ふ~~ん、そんな事もあるんだなあ。まあオラには関係ないかもなあ('Д')」

 

 

 

・・・というのも、

 

 

今までの過去最高のアクセス数は超頑張って533PVが最高でした(*´з`)

 

 

 

それを朝8時の段階で、アクセス数がすでに800越えとは・・・

 

 

 

 

 

ヤッター\(゚∀゚)/ーーー

 

 

 

 

 

ギター買って良かったぜぃー(*ノωノ)

 

 

 

 

 

 

 

と、素直に喜びました。

 

 

その後、夕方6時頃には

 

 



 

 

そして最終アクセス数はなんと・・・2738でした。

 



よく見ると、アクセス元が「www.smartnews.com」

が95%となっており、何かのきっかけでその媒体に載ってしまった結果だと

考えられます。

 

 

もちろん「www.smartnews.com」という存在すら知らなかった私に

とって、有難いことでありました。

 

ところで、この「www.smartnews.com」を詳しく知っていらっしゃる方いません

かー?

ブログやSNS界隈では有名なんでしょうか?

 

 

 

 

いやいやいや、こんなこともあるんだなぁ・・・(;^ω^)

 

 

ちなみに、次の日もアクセス数は620でした(*´з`)

 

 

まあ、人生一度くらいはこんなまぐれや勘違いもいいから、幸せなお祭り気分を

味わうのもいいもんですよね?

 

 

さて、このお祭り気分が、今度はいつやってくることだか・・・

 

 

 

夢よ続いてくれぇ~~~(*^▽^*)

 

 

 

 

 

EVH wolfgang ギター買ったぜー!!!

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

 

 

突然ですが・・・

 

 

 

 

 

「EVH wolfgangギター買ったぜー 

イエ~イッ(゚∀゚)!!!」

 

 

 

 

 

 

て、タイトルで既にバレていますが・・・

 

 

 

 

ということで今回はただただその自慢記事です(*'ω'*)

 

 

 

それではいってみようーーーーーー

 

 

 

ネットで買ったのですが、箱を開けてみたらソフトケースでした。

てっきりハードケースだと思ってたのに・・・

 

 

メーカーは「EVH」

そう、あの「エドワード・ヴァンヘイレン」が直接制作に関わって作った

ブランドで、フェンダーの子会社です。

ギターと言えば「フェンダー」のストラトテレキャスターや「ギブソン」の

レスポールなどが有名ですね。

 

 

そして、このギターは「WOLFGANG QM」という型式です。

 

 

 

 

ジャジャ~ン

 

どうですか?イイ感じでしょう~(*´з`)

 

 

この木目、そしてこの赤っぽい色(チェリーサンバースト)が欲しかったのですう(*´з`)

 

 

ここからは少し専門用語が並びますが、詳しく説明しますと、表面は

サンバーストと言われる塗装で、レスポールなどでよく見られますね。

 

 

ちなみに、エレキギター遍歴は、ストラトーーレスポールーークレイマーストラト

スタインバーガーを含めて、これで5本目となりました。

 

この「WOLFGANG」を、実は私は10年以上前から狙っていました。

ただ欲しい色がなかったのと、中には「いいな~」と思ったものもあったのですが、

値段が40万越えと大変高価だったので、手が出せずに諦めていたのでした。

 

 

 

が、月日は流れて・・・(゜o゜)

 

 

 

 

 

時たま見ていたギター専門店のネットで、一目これを見た瞬間に

 

 

 

 

 

「あっ、こっ、これだーっ!」

 

 

 

 

 

サンバーストにしかもオレンジ色、形、そして新品・・・・・

 

 

 

 

とまさにどストライクなギターなのでした(`・ω・´)b

 

 

 

 

ホント雷に打たれたの如くシビレテしまいました。

 

 

 

 

 

ただし値段が「20万5千円」・・・

 

 

 

 

 

う~~~~~ん、どうしよっかなーーーー"(-""-)"

 

 

 

 

 

 

 

「いやいやいや、もう二度とこれと同じような品は出てこないだろう。

いま買わなかったら一生後悔するな・・・

それに値段も高いとはいえ、そんなベラボーな値段じゃないしなーーー」

 

 

 

ということで・・・

 

 

 

 

 

「買いました、ハイーーー」(やす子風に)

 

 

 

 

 

過去には、安いけどあまり好みではないWOLFGANGを見て

「もう、妥協して買っちゃおうかなーー」なんて思ったときもあったのですが、

あの時に妥協して買わなくて良かったーー、なんてつくづく思いました。

 

 

 

そして、今回買ったこのギター、やはり日頃からの「こんなギターが欲しいなあ」

といったイメージが昔からあって、そのイメージ通りのギターがとうとう見つかり、

やっぱり日頃の自分の願望というか意識が結局は引き寄せたのかなあ、なんて思い

感慨深かったです。

 

 

 

この「WOLFGANG」は英語読みでは「ウルフギャング」、オーストリアでは

「ヴォルフガング」と読みます。

そう、あのモーツァルトの名前ですね。

私はクラシックピアノやグラシックギターも弾きますので、「WOLFGANG」

を見ると自然とヴォルフガングと読んでしまいます。

 

 

「ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト」がモーツァルトの正式な

名前ですが、エディ・ヴァンヘイレンは息子にこの「ヴォルフガング」の

名前をつけました。

 

そして、自分の開発したギターにもこの「WOLFGANG」の名を付けたのです。

 

 

材質は

 

ボデイ材はバスウッド。

 

ネックはメイプルです。

 

形状はストラトレスポールの良いところをそれぞれ取ってきた感じですし、

軽いですね。

ややポールリードスミス(PRS)のギターに近いと言えなくもないかな。

 

この木目が一番のお気に入り。

なんせ一本として同じ木目模様のものがないので、それこそ世界で二つとない、一つだけのギターなのだ、といっても過言ではありません。

そういうところが、サンバーストの良いところでしょうね。

 

 

 

エドワード・ヴァンヘイレン(ROLLING  STONE誌より引用)

(ROLLING  STONE誌より引用)

 

 

ヘッドも小さくてGOOD

ピックアップはフロントとリアで、ノブはボリュームとトーン。

ピックアップの切り替えは、WOLFGANGはレスポールと違って、逆になっています。

 

 

 

 

ブリッジはフロイドローズで、6弦をE→Dに一音下げれるDチューンを搭載。

エディのアイデアでピックアップはボディにダイレクトにマウントされています。

ふつう、レスポールにしろストラトにしろ、ねじで宙に浮かして固定されて

いますが、この辺りのこだわりもエディならではですね。

 

 

やはり「鳴り」を考えてのことなのでしょう。

ボディの共振をそのままピックアップで拾えるように、という感じでしょうか。

フレットはステンレスのジャンボフレット。

 

ハイポジションでも弾きやすいように、裏面はこのような形状に。

 

 

また、ネックの裏は、普通のギターはほぼ完全なR(曲面)になっていますが、この

WOLFGANGは少しいびつなR形状に削ってあって、より弾きやすいようになって

います。

もちろんこれもエディのアイデア

また鳴りもサスティンが長くて、ここはレスポールの感じに似ています。

それだけネックとボディとの密着度や構造が良いという証拠ですね。

 

 

 

今回はギターをやっている方にも見てもらえるよう、少し専門用語も交えて、

詳しく記事を書きました。

 

 

 

これからは、いつかこのギターを使ってYOU TUBEで自分が演奏している

動画をアップして、当ブログでも載せようかなあ、なんてたくらんでいます

(ウッシッシ( `ー´)ノ

 

 

 

 

それでは、大好きなエドワード・ヴァンヘイレンの超テクギター奏法をご覧ください

(この時の使用ギターはpeavey制のwolfgangです)

 

 

 

続いて皆さんも必ず一度は耳にしたことがあるであろう、有名な

「JUMP」をお聞きください(^O^)(この時はMUSICMANwolfgang)

 

 

 

 

次にお馴染みの「パナマ」の動画をどうぞ!!

 

 

 

最後はこの曲!!

 

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【修正しました】 ★重要な速報  何とかぎりぎり実りました  韓国をホワイト国に戻さず、グループBのまま  フッ化水素などの特殊な3物質だけ元に戻すということになりました(青山繁晴参議院議員ブログより)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

日本による韓国への輸出規制解除のニュースが流れていますが、その舞台裏で現職の

国会議員の方々がどのように動かれたのかを、自由民主党青山繁晴参議院議員

ブログにて明らかにされています。

 

そもそも韓国をグループAからグループBに落としたのは、徴用工問題の対抗措置

ではありません。

日本が輸出しているものの中に、兵器に転用できるものが不法に北朝鮮

流れている疑いがあるため、韓国の管理体制が正しく運用されることが確認

されるまでは輸出を止める、としているだけです。

 

 

それらの経緯についてはページの下の方に動画を貼っておきましたので、

正しい情報をお知りになりたい方はそちらをご覧ください。

 

 

 

マスコミが一切報じない、生の国会議員の声を直接お聞きください。

 

 

 

 

以下、青山繁晴ブログ「On the road」よりそのまま転載~

 

 


▼きのう3月15日に「日本の尊厳と国益を護る会」 ( 護る会 ) の総会を開き、韓国をホワイト国に戻してはならないなどの要請文を、護る会メンバー議員の自由な議論の末に、決定しました。
 その日のうちに、つまり日韓首脳会談がある3月16日の前日に、磯崎官房副長官 ( 護る会メンバー ) を通じて、岸田総理に渡しました。
 写真は総理官邸内です。一緒に行ってくださった護る会メンバーは、櫻田義孝・元五輪大臣です。

 岸田総理には直接、事前に、わたしから申し入れもしました。

 

( 護る会の総会。衆参両院とも沢山の委員会が開かれているので、参加議員はとても多いと言えます。現職閣僚も出席され、発言されました )

▼そうした申し入れに加え、経産省と直に交渉を重ねました。
 経産省内の良心派にも、水面下で繰り返し訴えかけ、交渉しました。

 そして、フッ化水素、フッ化ポリイミド、レジストの3品目に限っては、経産省がチェックして信頼できると判断した日本企業から、韓国に一定の管理で輸出することを認める措置だけは、新たに決まりました。
 韓国が強く求める「ホワイト国・グループAに戻す」ということは、阻止できました。
 経産省の責任者に何度も確認しました。韓国はグループBのままです。

 なお、今回の3品目については、西暦2019年12月にすでに、レジストについてその日本企業の韓国にある子会社に限定して輸出を認めていて、今回はさらにフッ化水素、フッ化ポリイミドを加えた上で「子会社に限らない」となりました。
 ホワイト国に戻さない範囲内で、妥協をしたのは事実です。

 しかし、もう一度申しますが、ホワイト国にはしませんでした。

 

 

 

 

 

※詳しい経緯はこちらの動画をご覧下さい

 

 

www.nakaimamarunosuke.com

 

 

 

( さらに書き加えました ) ( 推敲し、たいせつな追記をしました ) 【その2】 12年まえの現場を、確かな記憶のなかでもう一度、今度はみなさんと一緒に、歩く(青山繁晴参議院議員ブログより)

 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

2011年の東日本大震災でおきた、福島第一原発事故の後、民間の専門家として

構内を調査した青山議員のブログからの転載の続きです。

 

 

この記事を読んで頂ければわかりますが、日頃のテレビ番組からは知ること

ができない、当事者にしかわからない事柄が次々と記されていきます。

 

テレビに出てくる人たちは、実際に事故直後の現場を見ていない人ばかりです。

なので話す内容もどれも似たようなものばかりになるのもしょうがない

ですね。

 

 

改めて、福島第一原発事故の真相を知っていただき、今後の日本のエネルギーを

どう確保するかも考えていけたらと思います。

 

 

 

 

 

以下、青山繁晴ぶろぐ「On the road」よりそのまま転載~

 

 

▼これは、【その2】です。東日本大震災から12年を迎えた3月11日にアップした、このエントリーの後編です。
 3.11から2日遅れとなりましたが、ようやくアップできます。
 わたしの仕事に週末はありません。同じようなひとも珍しくないと思います。そして月曜になりました。月曜になれば、すべてが公に動きます。
 これ以上、アップを遅らせないためには、月曜の未明、夜が明けるまえに書き進めるしかありませぬ。

 待っていてくださったかたには、遅くなったことをお詫びします。

▼まずは、念のため、前編のエントリーの最後の方を再現します。
「必要ない」というかたは、読み飛ばしてください。

~ わたしはこの日 ( 東日本大震災の被災地を歩いた日 ) のあと、当時の警察庁警備局長から、震災が誘発した福島原子力災害をめぐって電話を思いがけず、受けました。

「まもなく『警戒区域』は誰であれ立入禁止にします。青山さんはきっと警戒区域内の現場にも入りたいでしょう。入るのなら、すぐに許可願いを出してください」という電話でした。

 わたしは直ちに正式な許可を得ました。
 原子力防災服を用意し、原子力関連の危機管理用品を積み込んで、頑丈な大型乗用車を運転し、夜明け前に東京を出発し、東北道を被災地へ向かいました。
 やがて夜が明け始めると、正面の遠い空に真っ黒な雲が垂れています。
 そこだけの雲で、空は晴れわたっていくのです。

 わたしは、迷うことなく、疑うことなく、突然に津波地震によって人生を奪われたひとびとの魂魄が、故郷を離れることができずに、空を漂泊していると思いました。
 やがて東北道は縦にうねり始めました。

 わたしはサッダーム・ハイウエイの惨たる状態を思い出しました。
 イラク戦争のさなか、ヨルダンの首都アンマンからイラクの首都バクダッドへ、サッダーム・ハイウェイ、すなわちやがて実質的にアメリカの手で死刑に処される独裁者、サッダーム・フセイン大統領の造った高速道路です。
 それを、テロリストと通じている疑いの濃いイラク人ドライバーの運転で、疾駆したときを想起したのでした。
 そのハイウェイは、アメリカの空海軍の爆撃とミサイル攻撃で、縦にうねっていたのです。

 わたしは、東北道で大型車を、おのれの持てる技術を懸命に駆使して、うねりを克服しつつ福島原子力災害の現場へ走り続けました。
 この手と脚と眼と頭、五感のすべてで、どれほど被爆しようとも、現場の真実は何か、それをどうしても専門家の端くれとして摑む決意を固めてステアリングを握っていました。 ~

( 前編の最後の部分は、ここまでです )

▼やがて東北道は「この先は通行不能」という表示が出ました。
 わたしは、使用可能だったPA原子力防災服に着替えて、高速を降り、地道を走ってやがて、警戒区域の阻止線に達しました。
 車を降りて、警備の警察官に、身を呈して警備してくださっていることに深い感謝を述べました。

 許可が下りていることが充分には最前線の警察官に伝わっていなくて、警察官たちは指揮命令系統に従って連絡をとってくれました。
 やがて許可が確認されて、わたしは車に戻り、運転して阻止線の中へ入っていきました。

▼そして福島第一原発のある大熊町双葉町をはじめ、第一原発から20キロの圏内をくまなく調べ、車を降りては放射線量もプロ用の線量計で正確に計っていきました。
 区域内はもはや、警察官や自衛官の姿もありません。ひっとこひとり、居ません。

 まったく無人のなかを桜の花びらが舞い、鳥がさえずり、無人の家に食べかけの食事が、道路からも見えたりしました。
 そして痩せこけた動物たちが、わたしの周りに集まってきたのです。
 SF映画の中に入り込んでしまったような気持ちもしました。

▼最後に、福島第一原発の正門前を目指しました。
 すると道路がひび割れて、陥没したり、路肩から崩れ落ちているところに直面しました。
 亀裂に嵌まって放置されている、無人の乗用車もあります。
 自分の車から降りて、調べ、考えました。

 このとき運転していた自動車は、重さが2.3トンもありました。
 進めば、悲惨な事態になることも考えられます。

 当然、迂回することも検討しました。
 しかし、許可が出ているのはこの1日だけです。と言うより翌日からもう、警察庁の警備局長の言った「誰も入れないようにする」措置となるのです。
 そして、ほかの場所をくまなく回ってきた後ですから、陽が落ちるまで時間がありません。
 決心しました。
 ながいこと、下手くそながらレーシングドライバーでもあったことを活かそうと思いました。
 そして、まさかの片輪走行も含めて、とっさの挙動で運転し、そこを抜けました。
 そこを抜けて、静まりかえっている十字路で、もう一度車を降りて、福島第一原発への方向を確認し、放射線量を計りました。
 ある程度、上昇していますが、無条件で人が避難し、生活を捨てなければならない放射線量とは言えませんでした。

 警戒区域に入るまえから、「原発から単純な同心円を描いて、20キロ圏内は避難とする政府のやり方は間違っている。地形と風向こそをシミュレーションして住民を避難させる、アメリカの原発インディアンポイント2の周辺自治体のやり方から学ぶべきだ」と問題提起していました。
 当時、ニューヨークの電源だったこの原発と、その周辺自治体は、自費で出張して充分に調査していました。

 その問題提起の考えが正しいことを、あらためて確信しました。
 菅直人総理の民主党政権は、ここでも大きく間違っていたのです。

▼そして福島第一原発の正門に着き、短時間なら車を停めても問題が無いと思われる場所を探して車を降り、構内には当然、入れないと考えて、周りを調べていたら、構内から発電所の職員が何人も飛び出してこられたのです。
 注意されるのだろうと思いました。
 福島第一原発の中に入る許可は無いから入らないこと、しかし周辺を調べる許可は出ていることを、平静に、お話しするだけだと思って向かい合いました。

 ところが、そのなかのひとりが「やっと、専門家が来てくれましたね。さっきから、警備所のモニターに青山さんの顔が大きく映っているんです」と仰いました。
 当時、わたしは内閣の原子力委員会原子力防護部会の専門委員でした。

原子力委員会の委員とは違います。原子力委員会の委員は、政府に、はっきり申しまして雇われている立場です。
 専門委員は、政府に問題を指摘する立場です。
 ところがこのあと、東京で、原子力委員会に呼び出され、当時の委員長から「なぜ、原子力委員会の許可なく、福島第一原発に行ったのか」と言われました。
 わたしは「とんでもない。専門委員は、委員とは違います。原子力委員会に自由な意見を言う立場であって、原子力委員会の指図は受けません」と反論しました。
 すると委員長は、この紙に署名してくれと言います。
 みると、「原子力委員会の指示で行ったのではない」という文面です。
 わたしは失笑しました。
 そして、それは事実ですから、署名しました。

 原子力委員会はこれで終わりましたが、民主党政権内閣府副大臣から電話で、脅され、これにも厳しく反論し、そして政権の内部から、警察庁に逮捕を検討するよう指示がありました。
 なぜ分かるか。
 警察の内部の高官から、わたしに「政権に、逮捕を準備させられている」と告発電話があったからです。
 わたしは平然としていました。来るなら来い、正当に戦うだけです。

▼場面を、福島第一原発の正門前に戻すと、なかから飛び出してきた職員は「中に入られるんですね ? 」とわたしに聞かれました。
 わたしは、たいへんに驚きつつ、すぐ理解しました。
 専門家という専門家は、福島第一原発から、できるだけ遠くへ、逃げて逃げて逃げていたのです。
 なかには、ご家族と沖縄まで逃げた人もいました。
 発電所の作業員の方々とはまた違う立場で、まだ進行中だった原子力災害を現場で見て、アドバイスすることが必要なのに、みな逃げるばかりです。
 実は、福島の地元メディアを除き、報道機関も同じでした。

 そのなかで初めて、内閣の原子力委員会の専門委員が来てくれたと、みなさん、思ったのでした。

▼わたしはその場で、こう申しました。
「いや、正式な許可を取るべきだと思いますから、いったん東京へ帰ります。許可が出ればすぐ、ここへ帰ってきます」
 作業員のみなさんの努力への共感を込めて、こう約束しました。

 帰京して、東京電力本社と、なにより、構内の管理権を持つ吉田昌郎福島第一原発所長の正式な許可を取り、1週間後に、専門家として初めて構内に入りました。
 構内には、放射線量が1シーベルトという場所もありました。報道などに良く出てくる、1マイクロシーベルトの100万倍です。1ミリシーベルトの1000倍です。吐き気といった症状がすぐ出てくるレベルです。
 献身なさっている作業員も、決して近づかない場所です。水素爆発によって、原発施設の瓦礫が飛散して、それが大量に集積している箇所は、そうでした。
 これは、ほんとうは何を意味しているか。

 構内と、回りの住宅地域とはまったく状況が違うのです。放射線量がまるで違います。
 なぜか。
 原子炉自体が壊れたのではなく、停電で炉中の核燃料棒が融けて床を突き破り、水に混じって、いちばん軽い放射性ヨウ素放射性セシウムだけが、水の蒸発に伴って、環境へ、つまり人の住んでいる構外へ出て行きました。
 放射性ヨウ素は、8日間で消えます。二度と存在しません。
 放射性セシウムは、土中に入ると、ほとんど動きません。
 だから環境中の、すなわち住宅地域の放射線量は、構内に比べ高くなかったのです。
 それは大きな差でした。
 のちに住宅街を調べた東大の学者が「驚いた」と発言され、「線量があまりに想像より低かったから」という趣旨を仰っています。

 水素爆発は、建屋の中に溜まった水素が爆発して、建屋の上部が吹き飛んだのです。吹き飛んだのはあくまで、外枠の建屋です。日本は地震国ですから、とても薄い構造です。
 しかし原子炉は吹き飛んでいません。
 その建屋の瓦礫が、構内にありました。だから瓦礫のある場所は、前述のように非常に高線量でした。
 もう一度申します。原子炉は吹き飛んでいません。当時も今も、まるで原子炉が吹き飛んだようにずっとメディアでもどこでも扱われ続けています。

 原子炉自体が爆発したチョルノービリ原発事故とは、まるで違います。
 なぜ今に至るまで、安倍政権下も含めて、チョルノービリ原発事故と同じレベル7 ( IAEA国際原子力機関の事故基準 ) にしているのでしょうか。
 こんなことをやっている日本政府だから、安全を高めた原子力の活用が進まないのです。自由民主党の議員として、ずっと問題提起しています。

▼冒頭の写真は、構内を巡るまえに、吉田昌郎所長と議論しているところです。
 吉田さんとは初対面でしたが、わたしをTVタックル朝まで生テレビ、あるいは原子力委員会の議事録で、よくご存じだったそうです。
 いきなり大きな両手でわたしの手を握り、「青山さぁん、よくぞこんな奥まで来てくださいましたね。ありがとう」と叫ばれました。

 

 

 

 

▼これら写真はすべて、わたしが撮った動画が元です。
 事前に吉田所長から、自由に撮影する許可を得ました。
 わたしの自宅に使わずに眠っていた、家庭用の安価なビデオカメラです。
 映っているかどうかは、正直わかりませんでした。

 画面がすべて眠い、すこしぼやけているのは、カメラを東電の指示にしたがってビニールでぐるぐる巻きにしているからです。
 レンズの上も例外にはせず、ぐるぐる巻きです。
 構外へ出るとき、そのビニールを廃棄するためです。
 実はスイッチが入っているのかも、良く分かりませんでした。スイッチの上も分厚くビニールが覆っていたからです。
 構外へ出て、カメラ本体の放射線量に問題がないことを確認した上で、映っていることがわかり、ほっとしました。

 動画はこのあと、そのまま完全に無償で、希望するすべての報道機関に提供しました。多く報道されました。TVのスタジオでも解説しました。しかしNHKだけは、完全に無視していました。

「世界が知りたい構内を初めて知らしめたのであり、アメリカのピュリツァー賞に該当する。応募すべきだ。推挙したい」ということも言われました。
 だが、わたしは「いや、ジャーナリストとしてではなく専門家として入構し、記録し、吉田所長らと議論したので、そういうことはしません」と答えました。

 

 

▼これは、作業車から作業員が撮ってくださいました。
 作業員のかたがたは、安全のために作業車から降りず、わたしはひとりで原子炉建屋に近づいていき、車内の作業員の被爆が起きないよう短時間で、子細に調べました。

▼これらの様子は、すで書籍などに記しましたから、ここまでにします。
 ここは、わたしの個人ブログですから、忘れがたい余談を書いておきます。

 わたしはこの西暦2011年の2月17日に大腸癌の手術として、15センチという長さで、腸を切り取っています。

 

( 思いがけず、お見舞いをくださったみなさん、今も感謝しています )

 

 

( このときはまだ幸せだったのです。全身麻酔から覚めると、凄まじい激痛が襲ってきました。痛み止めをいくら使っても、まったく効きませんでした )

 

( この写真は、術前ではなく開腹手術後です。術後、数日でもうベッドに半身を起こして、原稿を書いたり、仕事をしています。まだ痛かったですけどね。きっと意外でしょうが、我慢強いのです。わはは )

▼開腹手術後わずか6日日目の夜7時すぎ、執刀医の許可を得て、傷口に分厚い5重のガーゼを当て、切腹 ( 看護師さんのジョーク ) した患者専用の腹帯 ( ふくたい ) を巻き、寝間着をスーツに着替えて、青年会議所の理事長との対談に行きました。

 医師の許可は得ていましたが、無理無茶です。
 しかし、ナマ対談は講演と同じで、かなり前に決まっていて、チラシもつくり、人も募集なさっています。
 命が掛かっていようが、これを断って、迷惑を掛けることは致しませぬ。

 当時は、民間の専門家時代ですから、年におよそ130回の講演を行っていました。現在の議員時代とは大違いです。
 癌が分かってからも、講演のない隙間を探して、手術日の決定に時間をとり、お医者さんを心配させました。
 そしてようやく、遠方のオランダでの講演だけ、こころから申し訳ないけれどもキャンセルを伏してお願いしました。
 海外のオランダ出張のために前後の移動日を確保しているだけに、迷惑を掛けることが最小限にできると判断したのです。

 そしてオランダでの講演の主催者に、わかっていただきました。
 しかし、その後一切、オランダ講演の主催者から連絡はありません。
 癌から生還しても、二度と、オランダで講演する機会はないのです。
 講演の主催者をはじめ、迷惑を掛けたかたがたにあらためて、お詫びします。

 

 

▼これは福島第一原発ではありません。
 フランスのアルデンヌ県にあるショー原発廃炉現場に入って、調査しているところです。

 福島の尊い教訓は、世界のひとびと、そして祖国日本の同胞に、安全で安定した電源を供給することに、直結します。
 当時は逃げて逃げていながら、それが社会から忘れられているのを良いことに、みずからの良心の口をぬぐうように、まるで見てきたかのような嘘を言うひとたちがいることに、こころが冷えます。

 あの当時の現場はもう、もちろん残っていません。
 事故が進行中の現場を見た専門家は、不遜ながら、永遠にわたしひとりです。

 わたしは今後も、どれほど中傷され誹謗され、排除されても、あのときの吉田所長の心意気、作業員のみなさんの真摯な協力、そして福島原子力災害で今も空前の被害に苦しみ続ける地元民のみなさんのために、みずからの経験を活かせる国会議員として、献身していきたいと、発災から12年の今、静かに、考えています。

 いちえふ ( 福島第一原発。ふくいちとも ) の所長の吉田さんはそれからおよそ1年4か月後に、食道の癌で入院なさいました。
 事故とは関係がありません。
 吉田さんは秘かにわたしに、事故前から癌と診断されていて、事故への対応中も、どうしても必要なときは福島第一原発から抜け出て東京へ戻り通院していると、仰ったからです。
 入院から1年後、吉田さんは亡くなりました。

 入院中にわたしと電話で話されたとき、「わたしは青山さんと同じ考えです。防潮堤が気になる。防潮堤さえ高くしていれば、近くの東北電力女川原発のように無事故だった。それなのに今も、防潮堤の強化が不充分だ。次に津波が来たらどうするのか」

 吉田昌郎さんは、真の国士でした。
 国士が居たからこそ、不肖のわたしが構内に入れたのです。
 その国士の魂魄は、いまなお、いちえふのある福島の浜通りの空にいらっしゃると、わたしはこころ深く、感じているのです。



 

 

 

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12年まえの現場を、確かな記憶のなかでもう一度、今度はみなさんと一緒に、歩く 【その 1 】(青山繁晴参議院議員ブログより)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

今回は福島第一原発事故の直後に、原発の専門家として唯一人現場に入り、

その様子をテレビカメラに収め、無償で公開した青山繁晴参議院議員のブログ

からの転載です。

 

東日本大震災の直後の写真とその時の様子を、現場に入ったからこそわかる

状況をご自身のブログにて書かれています。

 

この3・11以降、第一原発事故の原因や処理水の事なども、青山議員は

色んな媒体を通して発信されていますが、なかなか国民の大多数には行き届かず、

誤解や風評被害は未だに収まっているとは言い難いです。

 

なので、テレビの報道からは読み取れない、現場の本当の姿や真実を、

この青山議員のブログやYOU TUBU動画を通してたくさんの方に知って頂き

たいと切に願っています。

 

 

 

 

以下、青山議員のブログ「On the road」よりそのまま転載~

 

 

 

 今朝の、おおきく明るい日の出に向かって、震災で被害に遭われたすべてのかたの魂魄 ( こんぱく ) と、被災者を扶けたすべてのかたの尽きせぬ力に、深い祈りを捧げました。

東日本大震災の発災した3月11日から12年、発災からまもなくに被災地に入ると、川へ自動車がゆっくり沈みゆくのを目の当たりにしました。
 後輪の右タイヤとおぼしきあたりだけが、川面に残り、やがてそれも呑み込まれていきます。

 

 


▼この川は、南三陸町の庁舎が津波で流された現場の向かい側でした。
 町職員の遠藤未希さん、結婚の直前だった24歳が、最期まで町民に、津波は予想より高い、逃げてくださいと呼びかけ続けて、みずからは犠牲になった現場でもあります。

 

 

 どなたかが花を捧げておられました。
 ひっそりと白く、静かに祈る花でした。
 奥には、身を切られる辛い皮肉かのように、「防災対策庁舎」の文字が見えます。

 

 

 

 この非常階段を登って、懸命に逃げた他の町職員、町の幹部のうち11人は、屋上のアンテナにしがみつくなどして助かりました。命はひとつひとつ、永遠に、かけがえがありません。ほんとうに、よかったと思います。
 若い遠藤未希さんは、何人かの町職員のアシストを得ながら、最期まで町民への呼びかけを続けていたのでした。
 これがわたしたちの同胞、日本女性の現代の姿です。

 沖縄県のかつての白梅学徒隊と同じ精神が、時間と場所と敗戦を乗り越えて、こうして息づいているのです。

▼あたり一面どころか、行っても行っても地の果てがないかのように、Tsunami という名で世界に知られた悪魔がすべてを薙 ( な ) ぎ払って瓦礫の地が続き、眼にするものすべてが非現実でした。
 警察官の寮だったとお聞きした建物の屋上に、流されてきた大型の乗用車がちょこんと乗っかかっていたり、海からの悪魔がどれほど高かったかが良く分かりました。

 

 

 その瓦礫には、衣服がたくさん引っかかっていて、これを着ていた人間だけが奪われて海に引き込まれていったこともありありと分かりました。

 

 

 瓦礫にはガラスの破片も光り、素手で片付けるのは極めて危ない情況でした。
 ところが陸上自衛隊の戦闘服の自衛官が、その素手の両手で、そっと丁寧に剥がしています。

 ご遺体を捜索するのに、機材を使わず、軍手すら使わず、まったくの素手なのです。
 テント張りの自衛隊指揮所をお訪ねし、指揮官にお聞きしてみると、「ご遺体への敬意です」とさらり、仰いました。
 こんな軍隊が、世界にあるでしょうか。
 ほんとうは世界に冠たる、民のための国軍です。

 

 

 その無数のご遺体の情報が貼りだしてある公民館に行くと、衣服を津波に剥ぎ取られたと思われる裸のお体に、手術の痕をはじめどんな特徴があるか。
 それが具体的に、自衛官の手書きで書かれて、横書きの短冊 ( たんざく ) として一面に貼り出してあります。
 ご家族を探す、地元のみなさんがひとつひとつ見て行かれるのです。

 その様子は、一切、写真に撮っていません。
 プロの写真家なら、話は違います。違っていいと、考えます。仕事とは崇高なものです。
 しかしわたしは、写真家ではなく、文章が仕事の作家であり、また当時はシンクタンクの独立総合研究所の社長でありました。
 だから、撮りませんでした。

▼わたしはこの日のあと、当時の警察庁警備局長から、震災が誘発した福島原子力災害をめぐって電話を思いがけず、受けました。

「まもなく『警戒区域』は誰であれ立入禁止にします。青山さんはきっと警戒区域内の現場にも入りたいでしょう。入るのなら、すぐに許可願いを出してください」という電話でした。

 わたしは直ちに正式な許可を得ました。
 原子力防災服を用意し、原子力関連の危機管理用品を積み込んで、頑丈な大型乗用車を運転し、夜明け前に東京を出発し、東北道を被災地へ向かいました。
 やがて夜が明け始めると、正面の遠い空に真っ黒な雲が垂れています。
 そこだけの雲で、空は晴れわたっていくのです。

 わたしは、迷うことなく、疑うことなく、突然に津波地震によって人生を奪われたひとびとの魂魄が、故郷を離れることができずに、空を漂泊していると思いました。
 やがて東北道は縦にうねり始めました。

 わたしはサッダーム・ハイウエイの惨たる状態を思い出しました。
 イラク戦争のさなか、ヨルダンの首都アンマンからイラクの首都バクダッドへ、サッダーム・ハイウェイ、すなわちやがて実質的にアメリカの手で死刑に処される独裁者、サッダーム・フセイン大統領の造った高速道路です。
 それを、テロリストと通じている疑いの濃いイラク人ドライバーの運転で、疾駆したときを想起したのでした。
 そのハイウェイは、アメリカの空海軍の爆撃とミサイル攻撃で、縦にうねっていたのです。

 わたしは、東北道で大型車を、おのれの持てる技術を懸命に駆使して、うねりを克服しつつ福島原子力災害の現場へ走り続けました。
 この手と脚と眼と頭、五感のすべてで、どれほど被爆しようとも、現場の真実は何か、それをどうしても専門家の端くれとして摑む決意を固めてステアリングを握っていました。

( 以下、その2に続きます )


 

 

 

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