(出典:国史絵画)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇
として即位するまでの物語の22回目です。
<前回の続きから>
大和で続いたイハレビコの戦いは、迩芸速日命(ニギハヤヒノミコト)の
登場によって終わりを告げます。
《天の神の御子天降り坐(ま)しぬと聞く。故追ひ参降(まいくだ)り来つ》
ニギハヤヒは天つ神の子孫を追って高天原から来たと告げ、その出自を示す
宝玉を献上し、イハレビコに仕えます。
続けて、古事記では
《故かく、荒ぶる神等を言向(ことむ)け平和(やは)し、伏(したが)は
ぬ人等を退け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)
に坐(いま)して、天の下治(し)らしめしき》
イハレビコはついに、荒々しい神どもを平定し、服従しない者たちは追い払って、
畝傍(うねび)の橿原宮で天下を統治しました。
このニギハヤヒを祀る石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)が大阪府
東大阪市にあります。
社伝ではニギハヤヒは、イハレビコの曾祖父で、天照大御神の命で降臨
したニニギノミコトの兄と伝わっています。
(写真は石切劔箭神社の公式ホームページよりお借りしました)
〇ノ丞解説:古事記に書かれている、この
「言向(ことむ)け平和(やは)し」
ということば。
とても角がなく、やわらかなものの言い方だと思いませんか?
音の響き自体もまろやかで、いかにも関西弁に特徴的な、長い歴史の中で
人々がお互いに、いかにうまく調和してやっていけるか、といった歴史を
繰り返す中で育まれてきた、やわらかなものの言い方のように私は感じます。
過去何度も奈良県を訪れて、例えば桜井市やその他の田園風景などを見ていますと、
日本〈大和)の原風景というのはこういうものなんだな、という印象を私は感じ
ることがあります。
また、関西のことばの、角がないくだけた感じ。
明治になって、江戸城に明治天皇が移られるまでの間、奈良や京都などの関西圏
に天皇の住まわれる京(御所)に歴代の天皇は生活をされてきましたが、その
日常の会話も古代では、くだけた「関西ことば」に近い会話をしていたので
しょうか?
(出典:「歴史人」より」