みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回も元チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジさんのブログの
記事からの転載です。
(周りはのどかな田園風景)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回は、愛知県犬山市にございます「石作神社」(いしづくりじんじゃ)の
ご紹介です。(訪問:令和2年4月25日)
愛知県犬山市今井宮ケ洞37
御祭神
小彦名命 菊理姫命
神社入口正面 いい感じです。
良い感じの階段でしょう?こういう雰囲気って好きなんですよね(^^♪
むーらの ちんじゅのか~みさまのー 的な・・・
神楽殿
由緒碑がございます。
「御祭神
天照皇大御神・菅原道真・大己貴命・小彦名命・菊理姫命
御由緒
当神社は今から約千年前の寛平3年に若宮の地に勧請された天神社がその始まりで
天正15年神官中野開運によって現在地に移された。
その後江戸時代に白山社などが合祀され明治初年に村社の指定を受け石作神社と
改称した。
御祭神の一人菅原道実公は学問の神様であり明治初期には境内の舞台にて子弟の
教育がなされていた。 神主 山田明敏」
元々は「天神社」がその始まりだったとの由緒書きの記述から、主祭神は菅原道実公と
思われます。
珍しく、鳥がのっています・・・
境内末社
狛犬を撮るときも、アングルに気を付けて男前(?)に映るように配慮が欠かせません
だって一世一代の写真なのですから・・・(大袈裟か)
御本殿
霊獣だと思われますが、何でしょうか?(麒麟?)
再び、周りは田園が広がっております・・・
こちらのお社は、少し小高い山のところにご鎮座しています。
写真からもおわかりのように、周りは畑が広がっており、人家も
まばらで、見通しのよい晴れやかで、のどかな所です。
入口の階段といい、この周りの田園風景といい。個人的にはとても
気に入っている神社の一つです。
他の参拝客が来ることはまずなくて、心ゆくまでゆったりと参拝時間を
満喫することができます。
式内社の神社でも、歴史が大変古いわりには、人気(ひとけ、参拝者)もなく
ひっそりとたたずんでいる神社は多いのですが、やはり実際に足を運んでその
空気とか雰囲気に触れてみますと、やはり長い年月相応の「何か」があって、
それが式内社巡りをする上での一つの魅力になっているんですよね(*‘ω‘ *)
なお、専用の駐車場はございませんので、いつも神社前の空き地に車を
停めて参拝をしています。
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの10回目になります。
御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介いたします。
(出典:「木に学べ」)
(法隆寺)
西岡さん「ヒノキという木があったから、法隆寺は千三百年たった今も
のこってるんです。 ヒノキという木がいかにすぐれていたか昔の人は
すでに知っておったんですな。
日本書紀のスサノオ尊のくだりに、スサノオがひげをまくと杉がはえた
。胸毛をまくとヒノキが生え、尻の毛をまくとマキが生え、そして眉毛を
まくとクスノキが生えた、ということが書かれています」
「そして、すでに用うべくを定むとありまして、ヒノキは瑞宮(みずのみ
や)に使え、スギとクスノキは浮き宝(船のこと)せよと書いてある
んです。そして法隆寺も薬師寺もすべてヒノキでできています。神代
からの伝承を受けて、外家さんの宮居(みやいり)であるところの伽藍
はヒノキ一筋ということやと思います」
「わたした一宮大工にとりますと、木ゆうたらヒノキですがな。
ヒノキのええとこはね、第一番に樹齢が長いということです。
法隆寺の伽藍の材料がだいたい千年か千三百年ぐらいで伐採されて
材料になってるんですわ。
とおり。ちょうど千三百年ですわな。こんな長い耐用年数のものは
ヒノキ以外にありませんわ」
「しかし、ヒノキならみな千年持つというわけやない。木を見る
目がなきゃいかんわけや。木を殺さず、木のクセや性質を生かして、
それを組み合わせて初めて長生きするんです。口伝では
「堂塔の木組みは寸法で組まずに木のクセで組め」ということも
いっております」
〇ノ丞):さすが、木と対話されてきた西岡さん。飛鳥時代に建てられらた
法隆寺。昭和の法隆寺の解体修理を通して、その飛鳥時代当時の宮大工達の
考えていたことまで、すべてお見通しだったということを、これからまた順を
追ってご紹介していきたいと思います。
~⓫に続きます~
(西岡常一さん)
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
前回の続きです。
「音もなくかもなく 常に天地(あめつち)は書かざる
経(きょう)をくりかえしつつ」
「此(かく)のごとく日々、繰り返し繰り返して
しめさるる、
天地の経文に誠の道は明(あき)らかなり」
〇ノ丞):二宮尊徳公は、皆さまがご存じの通り、幼い頃から家の農作業を
手伝い、夜は本を読んで勉強した苦労人です。家の没落をその勤王精神で
克服し、借金を全て返済して、失われた先祖伝来の田畑も全て取り戻した
方です。
そのような農業の体験から、自然の働きを通して、そこに真理・摂理がある
ことに気付かれたのでしょう。つまり仏典や他の聖典に書かれていることが、
自分の周りの自然に既に示されているのだ、ということを仰っておられるの
だと思われます。
春が来て種を蒔き、夏がきて作物は育ち、秋がきて収穫する。冬がきて雪が
降ることで大地が殺菌されて、再び春がくる。
そのような、ごく当たり前のことが、実は誠の道を指し示しているので
ある、と。
仏教にはたくさんの経文があります。しかし、二宮尊徳翁は自然の営みや運行
はすでに誠の道を示している、しかもわざわざ人に誇ることもなく、淡々と
その動きは続いていく。
それがすべて示しているではないか?と。
この「二宮翁夜話」の冒頭では、さらにこのように書かれています。
「天地を以て経文とす」
(てんちをもってきょうもんとす)
「二宮翁夜話」は、冒頭からこのような「誠の道とは」から入っていきます。
つづく
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今回は、以前ご紹介した「オフコース」の同世代である
「山本潤子」さんをご紹介いたしましょう。
山本潤子さんは、元々フォークグループ「赤い鳥」のメンバー(他はハイ・
ファイ・セットなど)。
同世代のオフコースの小田さんと鈴木さんは、大学3年のとき、ヤマハのコンテ
ストに出て「ここで優勝して、音楽をやめよう」と決意されるも、結果は準優勝
・・・
その時の優勝者が、山本潤子のいらした「赤い鳥」で、その時唄った優勝曲は
「竹田の子守歌」でした。
その後、オフコースの小田さんと鈴木さんは、コンテストで優勝できなかった
ため、音楽をやめる踏ん切りがつかず、結局プロの道へと進んで行くわけですが
・・・
80年代に小中学校で習った「翼をください」は、実はこの「赤い鳥」の
山本潤子さんがオリジナルだったのです。
今では、カバーするアーティストによって、そこそこ世間に知られる
存在となりました。たまに、学生やアマチュアの合唱団でこの曲を
練習しているのを聴くことがありますが・・・
若い世代の方でも、そこそこ馴染みがあるのでは?
さて今回改めて色々と動画を聴き比べてみましたが、こちらの動画が一番声の
伸びがよかったです。ただし少々古くて(1980年代頃のビデオテープか?)
画像もあまり良くないのですが、映像を見る限り山本潤子さんも若くて、声の良さ
が出ていると思いましたのでこちらを載せました。
↓↓↓
上手いですよね(*‘ω‘ *)
もう一つ。 こちらは、伴奏が尾崎亜美!
さすが、オフコースを抑えて優勝しただけのことはあり、歌唱力が
素晴らしいですね(^^♪
もともと歌の上手な方なのでしょう。
どこか、カレン・カーペンターと似ているところがあるような・・・
気がします。
「フォークソング」というジャンルは、今では死語のようになっているの
かも知れませんが、今の時代、こういう素朴ですがストレートなフォーク
ソングの方が、逆に新鮮に聞こえるのではないか、という想いから
「山本潤子」さんを今回は取り上げてみました。
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
前回の続きになります。
その後、11宮家は4家が既に断絶し、2家は現在の当主をもって末代
となるので、断絶することになります。
ですから若い世代に継承者が残るのは5家のみとなりました。
11宮家が皇籍離脱するにあたり、昭和天皇の思し召し(おぼしめし)に
よって菊栄親睦会という会が設立されました。
皇室と旧皇族の親睦を深めるための会です。
新年の祝賀や、天皇誕生日をはじめ、様々な機会に旧皇族が招かれ、現在
でも皇室と旧皇族は深い関係にあります。
終戦直後の旧皇族は、自らの生計を立てることに精一杯ではありましたが、
しばらくすると公職に就く人も現れました。
旧竹田宮の竹田恒徳は前日本オリンピック委員会委員長やその他のスポーツ
関係の団体の役員を歴任した他、旧北白川宮当主は神宮大宮司を勤められた
こともあり、また旧久邇宮当主も以前神社本庁統理を勤められたこともあり
ます。
11宮家の現在
伏見宮(ふしのみや) 現当主で断絶
山階宮(やましなのみや) 断絶
賀陽宮(かやのみや)
久邇宮(くにのみや)
梨本宮(なしもとのみや) 断絶
朝香宮(あさかのみや)
東久邇宮(ひがしくにのみや)
北白川宮(きたしらかわのみや) 現当主で断絶
竹田宮(たけだのみや)
閑院宮(かんいんのみや) 断絶
東伏見宮(ひがしふしのみや) 断絶
完
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。
今から22年前の1998年、日本で行われた「長野冬季オリンピック」での
開会式。
普段、私達が聴く「君が代」の感じとは印象がかなり違っていて、改めてこの
雅楽演奏によって聴きますと、その旋律自体が雅楽にピッタリの、雅楽の旋律に
なっていることに気付かされました。
それではお聴き下さい。
(追記:動画を一度クリックすると、「動画を再生できません」の画面になり
ますので、その中の「YOU TUBEで見る」のところをクリックして下さると
視聴できるようです)
こちらは、雅楽演奏会の動画です。
余談ですが、この君が代の旋律というのは、西洋のセオリー通りにはなって
いなくて、音階でいうと
「レ」ではじまって
「レ」で終わる
という、西洋の理論から外れた、いわゆる「終わりきってない」旋律なんです。
西洋の音楽理論では、曲は普通主和音(トニックコード)で始まり、主和音で
終わる。
ハ長調なら「ドミソ」の和音で始まって「ドミソ」の和音で終わるのが定石です。
ところがこの「君が代」の旋律は「レ」で始まって「レ」で終わっているのです。
これは私の推測ですが、明治時代にこの「君が代」の旋律にオーケストラの伴奏を
付けた人は、この始めと終わりの独特の旋律に和音を付けようとしたが、どうしても
難しかったので、最初と終わりの旋律のところは、和声をつけずに単音の旋律のままに
しておいたのではないか?と思っています。
それが、よく流れる「君が代」のオーケストラが最初と最後に和音がついていない
理由ではないかなと・・・
こういうところが西洋と日本の感覚の違い。
このような音階は「47抜き(よな抜き)」といって、ファとシがない
音階で、沖縄民謡などに使われる、日本独自の音階です。
現在、一般に浸透している西洋のオーケストラバージョンも非常に格式高くて
いいのですが、この雅楽演奏の方がどこかしっくりくるし、一日本国民として
はついカッコいい!と思ってしまいます。
だって、いま世界の中でも日本にしかないものなのですから・・・
雅楽って。