中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

尾張式内社を訪ねて 73  山那神社(旧南山名村)

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する神社は「山那神社(旧南山名村)」です。

参拝日時 令和2年11月21日

 

愛知県丹羽郡扶桑町南山名森58

 

御祭神

八野若比売命(やなわかひめのみこと・素盞鳴命の娘で大国主命の妃にあたる)

日本武尊   

玉依姫命

 

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一礼 お邪魔致します

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紅葉が始まっていました(去年の秋頃の参拝でした)

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左手にありますは「黒龍大神」です4

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抜けるような青空と、太陽の光、緑の葉に紅葉、そしてお社。

良き日の参拝と相成りました(´▽`)

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「   御由緒記
       郷社 山那神社
祭神 八野若比売命 日本武尊
 当神社は延喜式神名帳に山那神社 本国帳に従三位山名天神と之れ有り
 八野若比売命は素盞鳴命の御女にましまして大国主命の御妃になり当地方開拓の御祖神なり 日本武尊は稍後代の合祀にまします由相傳う
明治三年 社號を天神社と改む
明治六年三月 郷社に列せらる
明治三十五年三月 延喜の旧號山那神社に復す
一八幡社 祭神 神功皇后 應神天皇 玉依姫命
一八幡社 祭神 仲哀天皇 明治四十三年三月合祀
一大明神社 祭神 素盞鳴命 大正九年十二月合祀

 

 當地方の名称ヤナ、山名 山那 也奈 八名 夜奈等は皆宛字で其の起源諸説あるも 往古木曽川は堤防無き時代は蜘蛛手の如く流れ 當地方にて八原野を形成し其の八野の音便●ヤナに転訛せる説信に近し
    昭和九年十月十五日」
 

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こちらのお社には祓殿がありますので、拝殿の御祭神に挨拶する前にまずこちらに
伺って、穢れを払っていただけるよう祈願いたします。
尾張式内社でこのように祓殿がある神社は、他に江南市の稲木神社、一宮の大神神社
尾張旭市の渋川神社、犬山市大縣神社ぐらいで、比較的珍しいですね。

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ありがとうございます。それでは、次に拝殿へ

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二礼二拍手一礼

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境内で一番大きな木でしたので、御神木だったのでしょうか

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神大

尾北地方の神社の境内には山神が祀られているところが多くみられる。

近くにあるもう一つの山那神社にも、それぞれ本殿の傍ら近くの杜の中に、

素朴な丸い川石に山神と刻まれて祀られている。

古代の人々は春になると、農作物の方策を祈るため、近くの山から山神を集落の

里宮へ田の神として迎えて、収穫を終えた秋にはまた濃厚儀礼の慣わしがあった、

という説がある。

この地方では樹木に覆われた土地をふつう山と呼んでいる。この山は往古、

木曽川の流れによって造られたものともいわれ、古代の人々はこの山の神の

宿るところと信じていて、山神を祀ったのではないかとする説がある。

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御本殿

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境内末社 秋葉社、津島社、稲荷社、金刀比羅社、御嶽社

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外に立ててあった、年間行事の看板


こちらの山那神社は、すぐ近くの北方にもう一つ同名の「山那神社」があり、

それぞれ南山名村と北山名村と呼ばれていました。

江戸時代に南北に分かれたそうです。

 

今回は南側の「山那神社」となりますが、格式は旧郷社なので、規模も大きく、

境内も広い堂々たる神社となっております。

 

 

なお専用駐車場はありませんでしたので、神社のすぐ近くに車を停めての参拝

となりました。

今夏は2度目の訪問でしたが、天気がよく快晴でしたのでテンションは上がり、

しかも紅葉も見れてとても楽しい参拝となりました。

 

次回は旧北山名村の方の「山那神社」を訪ねます。

 



 

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自民・南モンゴルの勉強会、4月に議連に改組へ(産経新聞記事より)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

現在ウイグル自治区について、中国が行っていることがニュースになっています

が、その他に南モンゴルについてもウイグルチベットと同じような中国の民族

を否定する行いが問題になっております。

先週自民党が国会内にて行われた南モンゴルの問題についての勉強会を立ち上げた

という記事を載せます。

よろしければご覧下さい。

 

記者団の取材に応じる高市早苗前総務相=12日午後、国会内(春名中撮影)記者団の取材に応じる高市早苗総務相=12日午後、国会内(春名中撮影)

 

www.sankei.com

 中国・内モンゴル自治区で迫害されるモンゴル族の支援策を考える自民党の有志議員による勉強会が16日、国会内で初会合を開き、高市早苗総務相ら約30人の所属議員が出席した。会合では自治区出身の静岡大の楊海英教授が日本と内モンゴルのつながりについて講演した。

 勉強会は4月にも「南モンゴル支援議員連盟」(仮称)に改組し、超党派議員連盟を目指す。香港やチベットウイグルの支援を行う議員連盟はあるが、内モンゴル自治区モンゴル族への人権弾圧に対する議連はなかった。

(出典:産経新聞

 

 

さて、南モンゴル出身の方々の団体が活動されている組織がありまして

           

southmongolia.org

 

 

こちらの「南モンゴルクリルタイ」では、南モンゴルで長年に渡って中国が

行ってきたことなどを、わかりやすく絵本風にして公開しております。

             

 

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南モンゴルの方々は親日であり、この南モンゴルの問題については日本が関心を

持ってくれることを大変期待しておられます(というか日本だけが頼り)。

 

 

中国の覇権主義、周辺国の文化や民族、その言語などを無視して同化を推し進め

ていくやり方を阻止するためには、南モンゴルやACEAN、クワッド(日米豪印)

が連携して封じ込めていくしか道はありません。

この南モンゴル問題を解決しいくことは、日本の国益にも叶うことになるのです。

 

 

 

 

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立派な女性「山口百恵」さん

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

先日、山口百恵さんの最後の武道館コンサートを観る機会がありました。

昔から百恵さんについては、ご本人の言動や生き様に共感を覚え、尊敬する

女性の一人でしたので、興味深く拝見していました。

今回はそのことについて勝手に語ってみたいと思います。

 

このコンサートでは、百恵さんの結婚が決まって、最後のコンサートに

なるのですが、その百恵さんの表情を見ていて

 

 「浮ついたところがない、誠実な方なんだな」と思いました。

 

このコンサートでは最後の曲を歌いきり、その歌っていたマイクを床に

置いて去っていかれる、という有名なところがあります。

 

つまり「もう二度と戻ってきません、これで歌手は終わります」

 

ということなのでしょう。

 

それを見ていて百恵さんて、まだこのとき21歳(若い!)なんだけど、

その潔さ、そしてその覚悟に大変共感しました。

結婚するのが決まって家庭に入るので、築いてきた地位も名誉も全て捨てて、

去っていく。

なかなかできないですよね。

まあ時代もあるのかもしれませんが。

 

この姿を見て、その人のひととなりがわかりますよね。

 

そして、一人の女性として「立派な方」だなと思いました。

だから、タイトルを「立派な女性」としたのです。

百恵さんを語るとき、生半可な軽い言葉を使えないなと思いましたので、

自分なりに考え、当てはまる言葉としては

「立派」「誠実」「覚悟」

を持っておられる方だなと思いました。

 

自分の決めた道を、本気になってまっすぐに進んで行く。

臨めばいつでも復帰できるし、お金も稼ごうと思えばどれだけでも

稼げる。

でも、それをしない。

 そこに、一人の女性・人間として素晴らしいと思うのです。

 ただし、百恵さんもその後家庭に入って子供ができ、学校に通わせるように

なると、マスコミ各社が執拗に取材しようとして、子供にも迷惑をこうむるよう

になってしまうという状況になりました。

芸能界を引退し一般人になった人間に対しても情け容赦なく取材しようとする、

金儲け主義のマスコミのやり方は、本当に情けないですよね。

 報道の自由とかなんとか理屈をつけて。

 

 

それでは余談になりますが、私が知っている 百恵さんのエピソードや

小話なども書いてみますね🌌

 

例えば歌手の中森明菜さんは山口百恵に憧れていたのは有名な話しで、

明菜さんのその話し方や仕草、歌い方などは影響を受けていることは、

見ていてよくわかります。

 その他としては・・・

 

エピソードその1 「スカンク」

 ある著名なバンドマスター(バンマス)の方が語っていた百恵さんの

思い出話しですが、あるテレビの放送で、百恵さんが歌う前に、動物

のスカンクを使ったコントが何かをやったらしいのですが、その結果会場には

かなり臭い異臭が漂っていた・・・(半端なかったそう)

 

しかし、その後百恵さんは、その異臭の中でも表情一つ変えず、最後まで

歌いきったのでした。指揮しながら、それを見ていたバンドマスター

「本物のプロだな」と感心したそうです。

 

 

 エピソード2 郷ひろみ

 ある歌番組で、百恵さんのことを聞かれた郷ひろみさんは、百恵さんの

ことを

「百恵ちゃんは昔から肝が据わっている」と語っていました。

よく言い表している言葉だと思います。

 

 

エピソードその3 「いい日旅立ち」誕生秘話

シンガーソングライターで、「いい日旅立ち」を作詞作曲された

谷村新司さんが、この曲のエピソードを語っていました。

 

谷村さん「ある時、この曲がまさに突然降りてきたんだ。

で、その出来立ての状態で、百恵ちゃんに早速電話で自分が歌ってみて、

どうかな?なんてやり取りをしたんだ」

ということでした。

 

 

 

さて、その「いい日旅立ち」という曲は、百恵さんご本人も好きな曲

と仰っておられますし、私も大変好きな曲です。

聴いていてその情景が浮かんでくるようだし、やはり3月の卒業シーズン

にもピッタリの曲だとも思います。 

 年代としては私が小学生の頃に百恵さんがテレビで歌っていたという記憶

 がありますが、本当に名曲ですよね。

 では、よかったら聴いてみてください。

 

 

さてYOU TUBEでいろいろ検索していたら、素晴らしい動画を見つけました。

見ていたら思わず泣いてしまいましたが・・・

よろしければご覧ください ☟

 

 

以上、長くなりましたが自分の感覚で百恵さんについて色々と語ってみました。

あの地に足がついた百恵さんの生き方を知ることができたことは、自分にとっては

収穫であったなと思いました。

現在百恵さんは、夫の友和さんの御両親の介護をされているそうです。

いつまでも、まっすぐに道を進んでいかれる方なんですね。

 

 

 

仁徳天皇 「民のかまど」

 

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

 

 

 

今回は、有名な新古今和歌集707の和歌「民のかまど」

をご紹介いたします。

 

 

「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 

民のかまどは にぎはひにけり」

 

なぜ、この和歌をご紹介したかといいますと、古代は天皇が政治と

祭祀を司っていた=祭政一致、という歴史があります。

 

政 まつりごと (国内の政治を行う)

祭 まつりごと (祭祀を行う)

 

両方をそう読んでいました。

日本国の象徴である、天皇の歴史において、それこそ象徴的なエピソード

といえば、この「民のかまど」の話しがあります。

 

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●「民のかまど」とは

 

古事記より~

天皇は高い山に登って四方の国を見て「国の中に煙が経っていないのは、国が

貧しいからだ。今から三年間人民の税負担を免除せよ」と命じた。そのため

宮殿は壊れて雨漏りがしても修理せず、箱で雨水を受けるし、雨漏りして

いないところに移ったりしていた。

 

続きはー『日本書紀』から

その後、気候が順調で五穀豊穣。三年間で民衆は豊かになり、徳を称える声

が満ち溢れて、炊事の煙ももくもくあがった。

 

さて、天皇が高台にいて遠くを望むと、煙が盛んにあがっている。その日

天皇は皇后に語った。

 

天皇「私は豊かだ。憂い事はない」

皇后「どこが豊かでしょうか」

天皇「煙が国に満ちている。人民が富んでいる」

皇后「でも宮の垣は壊れて修理もできない。屋根は破れて衣服が濡れます。

どうして豊かといえましょう?」

天皇「天が君主を立てるのは人民のためだ。だから君主は人民を本とする

のだ。ということで、昔の聖王は人民が一人でも飢え凍えていたら、わが身

を責めたのだ。

今人民が貧しいのは私が貧しいことであり、人民が富んでいるのは私が

富んでいるということである。未だかつて、人民が富んでいて君主が

貧しいということはない」と仰せになりました。

 

 

以上、仁徳天皇は三年間の租税免除を通して、人民を救おうとされました。

でもご自身の宮殿はボロボロとなり、国庫も空の状態でした。

 

以前に上げました記事の中で、西洋の君主・国王と日本の天皇の違いについて

書きましたが、ここなのです。

 

西洋の国王や皇帝の多くは、贅沢をし、私腹を肥やし、その結果民に襲われ

ないように城の塀を高くし、我が身や家族の身の安全を確保しようとして

きました。

一方、京都御所の塀はとても低く、誰でもすぐ越えれる 高さしかありません。

それは、民に襲われる心配がないからです。

 

 

なぜなら歴代天皇は、疫病が流行ったり、飢饉となると

「責めはわれ一人にあり」

として、ご自身の不徳のなさを神々に詫び、そして神々に民が救われる

ように祈りを捧げられてきたのです。

そして民のことを「おおみたから」とも呼んでいました。

それは民の父母のごとく、民を我が子のように思うからこそ出たことば

だといえましょう。

 

これが、日本の政治の原点であり、日本国の象徴的な姿であるといえる

と思います。そして日本国を統合し、天皇と国民をつなげている

ものであるともいえるでしょう。

 

 

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一番最初の天皇 神武天皇  ⑩

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の10回目です。

 

 

 <前回の続きから> 

 

 古事記より

《其の国より上り幸(い)でます時に、亀の甲に乗り、釣り為(し)つつ

打ち羽挙(はふ)き来る人、速吸門(はやすひのと)に遇う》

吉備国を出発した神武天皇。上記の速吸門は日本書紀では速吸之門と

書かれ、豊予海峡を指し、古事記では明石海峡として書かれています。

 

日本書紀より

《方(まつ)に難波(なには)の碕(みさき)に至るときに、奔潮(はやなみ)

有りて太(はなは)だ急(はや)きに会う》

 

《因りて名(なづ)けて浪速国(なみはやくに)と為(い)う。亦(また)

浪花(なにはな)と曰(い)う。今し難波と謂(い)へるは訛(よこなま)

れるなり》

 

上陸したイハレビコ(神武天皇)はこの地(大阪の難波)に、生島大神

いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)を祭った。

「生玉(いくたま)さんとして有名な生国魂神社(いくくにたまじんじゃ・

大阪市天王寺区)の起源です。

同神社は豊臣秀吉大阪城築城まで、海に近い上町台地の北端に鎮座

していたということです。

 

生國魂神社

(写真は生国魂神社HPよりお借りしました)

 

詳しくはこちらからどうぞ 

 

ikutamajinja.jp

 

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

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城所ケイジさんの龍神像  16

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回も元チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジさんのブログから

の転載です。

少々昔の記事です。

 

 

 

2012年最後の龍神様

2013年01月02日 | 最新作品紹介
2012年12月9,13,14,16日の4日間で仕上げた締めを飾る龍神様です。
神戸市の東谷口製袋所様からの特別オーダーです。
2つの玉を抱いた龍神様です。









 
 

尾張式内社を訪ねて 72 大野神社

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する神社は「大野神社」です。

 

愛知県一宮市浅井町大野郷東1042

 

御祭神

誉田別命(ほむだわけのみこと)

 

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楽殿

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拝殿

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御本殿の様子

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境内末社

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百度石かな?

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一礼 ありがとうございました

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明治維新前は八幡社と呼ばれていたが、明治三年、今の社名の大野神社になる。

この神社の旧地はお宮の南の方にあったと伝えられる。

旧知と伝えられるところの近くに水神を祀る小祠があり、祭神は罔象女神

(みずはめのかみ)をお祀りしている。

こちらの大野神社の周辺には水に関わる伝説・民話など言い伝えが沢山あり

ます。


こちらのお社の隣りがコミュニティセンターになっていましたので、そこの
駐車場に車を停めての参拝となりました。
お社は木曽川沿いにありますが、この辺りは他の式内社も多く集まっている

地域なのです。






 

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