中今〇ノ丞の「まあるく生きる」

人生をどう生きたらいいのか、一緒に考えよう

尾張式内社を訪ねて 75 前利神社(さきとじんじゃ)

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みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回ご紹介する神社は「前利神社」です。

参拝日時 令和2年11月21日

 

愛知県丹羽郡扶桑町斎藤宮添3

 

御祭神

 神八井耳命(かみやいみみのみこと・神武天皇の御子)

 

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入口の掲示

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社務所

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手水舎

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かなり強そうな龍神様です・・・

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「    御由緒
    前 利 神 社
          斉藤字宮添三番地
 祭神 神八井耳命(かみやいみみのみこと)
 境内 約四、四四〇平方メートル
 神八井耳命神武天皇の第一皇子といわれ綏請天皇の兄とされています。上古では祭政
 二元制をとっており兄が祭事を司り弟が政事を行なう天皇に即位される慣わしとなって
 おり祭事の相続権を持った兄が上位とされておりました。
 この尾張一帯はかつて上古の時代丹羽臣が支配しておりましたがその始祖が神八井耳命
 とされております。斉藤を中心とした和田勝佐、山尻、江森、高屋、高木、山名、柏森
 を支配していた豪族の前刀連は丹羽臣の同族となっていたため前刀連の前方後円式古墳
 の上に神八井耳命を神祖として建てられた神社とされています。
 創建年代は不詳でありますが延喜式神名帳に記されており今から約1300年以前に建
 てられた古い神社であります。昭和十年三月十二日県社に昇格された由緒ある格式の高
 い神社であります。

昭和六十二年一月吉日建之」

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手水舎そばの大楠

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こちらは反対側

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拝殿から見下ろすと、左右に大きな楠がみえます。

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ご覧のように真新しい拝殿が光り輝いています・・・

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今回は2度目の訪問です。前回は約5年前で、その時は丁度拝殿と本殿の建て替え工事中
で、このような大きな拝殿はなくて、まだ神様が遷座された小さなお社がポツンと
建っていてた状態でした。
なので、再びこのように再訪して立派な御社殿に生まれ変わったお姿を拝することが
できて、心新たに、そしてこの上ない幸運でした。

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二礼二拍手一礼

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境内末社 左から豊受社、秋葉社、津島社 

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こちらのお社は

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斉之宮と

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福之宮

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復興碑

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それでは光り輝く御本殿の写真をどうぞご覧ください

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総ヒノキ造りであろう御本殿が光っていますね

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まだ名残惜かったですが・・・

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木の高い所で騒いでいた野鳥たち。撮られていることなどつゆしらず、遊んでいました。

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一礼 ありがとうございました。

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龍雲?


こちらの前利神社は旧県社なので規模も大きくて、社格も高い格式ある神社です。

前回のときとはうって変わり、立派な御社殿に生まれ変わっていましたが、前回の
工事中の遷座された小さなお社の時でも、境内はとても雰囲気が良く、爽やかな
お社でした。
なので、再訪を心待ちにしていたお社の一つで、来てみてやっぱり落ち着く神社です。
 

なお専用駐車場は神社奥の北側にございます。



 
 
 
 
 
 
 
 

城所ケイジさんの龍神像  21

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

今回も元チェンソーアート世界チャンピオンの城所ケイジさんのブログ

 からの転載です。

今から9年前の記事になりますが、城所さんが彫られた素晴らしい、

生きた「龍神像」をご覧ください。

 

 

 

龍王プロジェクト第六弾 

2012年07月12日 | 神社仏閣特別彫刻
龍王プロジェクト 第六弾

宮城県宮城郡のお寺さん 2012年(平成24年)7月8日(日)~11日(水)4日間





このお寺さんでのカービングのもっと多くの写真はここをクリックしてくださ

 

 

最新作品紹介 龍神様

2012年07月15日 | 最新作品紹介
樹種:ヒマラヤスギ  大きさ H140㎝ W60㎝ 彫刻時間3日間

彫刻日 2012年(平成24年)7月8~10日 11日仕上げ



 
 
 
 
〇ノ丞:今にも動き出しそうですね。
命が宿っているかのようです。

 

 

 

 

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ㉑

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の21回目です。

 

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

古事記

《また兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)を撃ちし時に、御軍暫

(みいくさしま)し疲れぬ》

 

一方、日本書紀では

《皇師(みいくさ)、大きに挙(こぞ)りて磯城彦(しきひこ)を攻めむ

とし、先づ使者を遺し兄磯城(えしき)を徴(め)さしむ》

 

ここでの磯城彦とは磯城という地域を治める兄磯城、弟磯城の二人の総称。

古事記が書く兄師木・弟師木のことです。

 

イハレビコは使者として八咫烏(やたがらす)を送ります。

 

呼びかけに応じ、参上したのは弟磯城で、帰順した後、こう告げます。

《我が兄兄磯城、天神の子来(い)でますと聞(うけたまは)り、則ち

八十梟(やそたける)帥をあつめ、兵(つはもの)を具へ、与(とも)に決戦

(たたか)はむとす。早く図りたまふべし》

 

弟は兄を討伐するよう、イハレビコに進言します。

イハレビコは椎根津彦(しひねつひこ)の献策で忍坂から軍を発し、鬼磯城

が全軍で迎撃に出たところを墨坂を越えた別軍に挟撃させて、鬼磯城

八十梟帥に勝利します。

 

現在、三輪山の麓には弟磯城の子孫が創建したとされる志貴御県坐神社

(しきのみあがたにいますじんじゃ)が残っています。

 

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(写真:奈良県桜井市観光協会公式HPよりお借りしました)

                                       ☟

sakurai-kankou.jimdo.com

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

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最後の宮大工 西岡常一 ⓬ 「木の競争」

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

最後の宮大工と言われた「西岡常一」さんの12回目になります。

 

御著書「木に学べ」から、素晴らしい名言をご紹介いたします。

 

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(出典:「木に学べ」)

法隆寺

 

 

 木を知るには土を知れ

 「自然の木と、人間に植えられて、だいじに育てられた木では、当然で

すが違うんでっせ。

自然に育った木ゆうのは強いでっせ。なぜかゆうたらですな、木から実が

落ちますな。それがすぐに芽出しませんのや。出さないんでなくて、出せ

ないんですな。ヒノキ林みたいなところは、地面までほとんど日が届かん

ですわな。

 

こうして種は何百年もがまんしておりますのや。それが時期がきて、林が

切り開かれるか、周囲の木が倒れるかしてスキ間ができるといっせいに

芽出すんですな。

 

今年の種も去年の種も百年前のものも、いっせいにですわ。

少しでも早く大きくならな負けですわ。木は日に当たって、合成して栄養

つくって大きくなるんですから、速く大きくならんと、となりのやつの

日陰になってしまう。日陰になったらおしまいですわ。

 

何百年もの間の種が競争するんでっせ。それで勝ち抜くんですから、生き

残ったやつは強い木ですわ。でも競争はそれだけやないですよ。

大きくなると、少し離れてたとなりのやつが競争相手になりますし、風や

雪や雨やえらいこってすわ。ここは雪がふるからいややゆうて、木は逃げ

ませんからな。

じっとがまんして、がまん強いやつが勝ち残るんです。

 

千年たった木は千年以上の競争に勝ち抜いた気です。法隆寺薬師寺

千三百年以上前の木は、そんな競争を勝ち抜いた気なんですな。

 

いちがいには言えませんけど、50mの木の高さやったら、50m下まで

根が入り込んでるといわれています。枝が幹から10m横にのびたら、

根も横に10m根を張ってるといわれます」

 

 

 

 〇ノ丞解説:自然の木も日々生き残るために競争し続けている、という

お話しは、初めて知ったのでとても驚きですし、とても含蓄のあるもので

個人的に気に入っております。

 

一見すると何にも感じませんが、自然のそこは動物や他の生物と同じで、

木々たちの中でも厳しい生存競争が繰り広げられているわけです。

 

人間の世界も同じように、みな生きていくためにつらい競争があることは

ご存知の通り。

ただ自然は声を出しませんが、そこから学ぶべきものがあることを西岡棟梁

から今回改めて教えてもらいました。

 

その千三百年の樹齢の木が、法隆寺の材料となってさらに千三百年持ち

続ける。

そんな大木はまさに神さまそのものですよね。

 

 

宮大工として解体修理を通して法隆寺を知り尽し、樹齢千年二千年のヒノキの

性質を知り尽し、また聞くことができないのに聖徳太子の願いも汲み取って

おられた西岡棟梁。

 

法隆寺の解体修理の中でヒノキの声なき声を聞き、聖徳太子法隆寺建立の

切なる願いも、心で感じ取っておられた。

 

そう、現代から飛鳥の時代へ、法隆寺が建立されていた当時の時代の飛鳥の工人

たちや、 聖徳太子と意思疎通し、対話されていた方だと言えましょう。

 

そんな尊いお仕事をされていた西岡棟梁は、ただ単に宮大工という立場を

越えて、今でも私たちに気づきを与え続けておられる存在です。

 

 

  

 

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応援しよう 国産マスク! マスク不足で生産参入→「赤字」「突然のハシゴ外し」も・・・J-CASTニュースより

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

とても「胸アツ」な記事がありましたのでご紹介いたします。

 

純国産にこだわったマスクを作っているメーカー「ショウワ」を皆さんで

応援しませんか?

以下記事を抜粋いたします。

 

 

 

以下J-CASTニュースより~

新型コロナウイルス禍で国内が深刻なマスク不足に陥った際、異業種からマスク業界に新規参入した企業が今や「赤字8000万」だとツイッター上で拡散され、「応援したくなる」などと話題となっている。

注目されているのは、国産マスクを販売する業務用洗浄機メーカーのショウワ(兵庫県尼崎市)だ。

 

■「国内で生産ラインを作るという心意気」

今回ショウワが注目されるきっかけとなったのは、声優の磯村知美さんが2021年8月18日、「マスク不足の時にマスク製造を始めて下さったShowaさん」と紹介したツイート。

同じ投稿では、「8000万の赤字と先ほどのツイートで知り、心ばかりですが支援の為に購入させて頂きました。国産の生産ラインは大切だと思うので皆さんも余裕があれば是非」ともつづった。

元を辿ると、テレ東BIZが5月17日に公開した記事「増産のかけ声はどこへ... 国内マスクメーカーに変化」で、大量の在庫を抱えるメーカーとしてショウワが取り上げられていた。

磯村さんの投稿は5万1000件以上のリツイート、7万8000件超の「いいね」が寄せられるなど大きな話題となり、ツイッターでは、「国内で生産ラインを作るという心意気。それだけで応援したくなる」「値段は高いけど買い支えなければと思う」といった反応が寄せられている。

なおショウワのマスクはAmazonやBaseなど通販でも手に入れることが出来る。基本商品の「3層仕様サージカルマスク(30枚入り)」は税込み2200円。

国内のマスク不足が解消された今、メーカーはどうなっているのか。J-CASTニュースはショウワに取材した。

■100%国産マスク生産の「社会的使命」

19日にJ-CASTニュースの取材に応じたショウワ営業部・担当者は、国産品を喜ぶようなツイッター上の反応を受けて、「私たちもそれは絶対に守るべきだなと思っている」と国産品の製造に決意を表した。

マスクの生産を始めたのは2020年4月。当初は国内の素材が手に入らなかったことから中国産の不織布を使っていた時期もあった。しかし現在の生産体制は、「国内の工場で作っている、検品も国内でやってる、素材も国産品を使う」「100パーセント・メイドインジャパン」と強調。

綿密な計画や収支の見通しを持って始めた事業ではないとして、担当者は参入の理由を「(深刻なマスク不足の状況を)どうにかしなきゃなっていうただそれだけです」と振り返る。

さらに具体的に、「うちの社長が東日本大震災のときにほぼ何も、東北に対して何らかの支援を出来なかったっていうのがずっと忸怩たる思いとして残っていた」という。マスク生産を事業の柱にしようとしたわけではなく、

「社会的な使命としてこれやっとくべきやなと」
「綺麗事みたいですけど、本当に(社会貢献が)大事だった」

と、思いを明かす。設備投資分が回収できれば後は細々と生産、コロナ禍の収束にあわせ2、3年でマスク事業を畳む心積もりでいたという。しかし感染状況が落ち着かず、今後数年間は生産を続けるつもりだとする。

一方で担当者は、ツイッター上で注目されている「赤字8000万」の表現にはひとり歩きしている部分があるとした。財務諸表上のものではなく「強気」で設定された社内目標上の数字だという。1億8000万だという設備投資分のうち、社内で掲げた短期間で回収しきれなかった分が8000万円だったとしている。実際の決算は大赤字ではないものの、「赤字は赤字です」と伝えた。

■受託製造の苦難「突然ハシゴを外され」

参入当初は伸び悩むも、20年8月に大手メーカーの受託製造(OEM)が始まると急激に売り上げが伸びた。

30万枚だった請負が、220万枚ほどまで膨らんだ。「機械を自動化する、もしくは機械をもう1台購入する。そうしないと追いつかないような状況だった」として、更なる設備投資と自動化を進めたという。

21年2月には、「大手メーカーが突然ハシゴを外した」。

設備の増強について振り返り、

「もちろんこちらが勝手にやったことなんですけれども、あくまでも先方の数を満たすためにはそうせざるを得なかった」

と話す。自社の対応を「懲罰も含めた業務契約を取り交わせなかった」「口頭でそのまま突っ走ってしまった」と反省しつつ、「未だに私は個人的に先方の担当者とは駆け引きし続けている」とも言う。

■ノウハウ活かした機体「魔改造

そういった状況もあるなか、一番苦労したのは生産機体。最初に4500万で買った中国製の機体が国内の要求を満たす水準に達せず、韓国から1機、中国から別の2機を買い足した。元々は洗浄機の開発をしているショウワ、「機械作りはプロ」と担当者は話す。購入した機体に手を加えた。

「韓国のは少々の手直しなんですけど、中国産に関しては、ほぼ原型留めてないです。『魔改造』です。ほぼほぼうちの製品ですと言っても通用するくらい」

さらに既製品の改造で培ったノウハウを活かして自社製の機体も1から作り上げたという。

なお主力の洗浄機事業はコロナ禍の煽りを大きく受けているという。外食産業ではコストの削減から導入が足踏みされ、他の業界でも物流減少の影響で受注取り消しなどがある。担当者は「洗浄の分野っていうのは、コロナでなかなか厳しいところがある」と打ち明ける。

■目標はリピーターの確保

マスク事業の参入は結果的に会社の宣伝になったとして、「広い目で見て、社会的に頑張ってんねんなこの会社っていう風に言っていただくのは、凄く嬉しいですね。それは本当に。もう理屈抜きで」と担当者は喜んでいた。

しかし現状は、「今回のようにツイッターでバズれば売れるんですけど、どうしても(海外製マスクに)価格競争力で勝てない。作るはいいけど、買い手がいない状況」。

今後について「BtoCの安定供給ができるっていうのが我々の1番の目標」と顧客の定着を狙っているとしつつ、

「もちろん民間企業なんで、儲けを出すっていうのは必要なんですけども、それ以上に、国産の高品質のマスクを作ってる会社がまだあるよっていうのを訴えていきたいと思っています」

と訴えた。

(2021年8月21日11時追記)記事の一部を修正しました。

 

 

 

〇ノ丞解説

メイドインジャパンにこだわったがゆえに、価格が高くなってしまった

●大手メーカーから突然ハシゴを外された

●自社のノウハウで、使えない機械を改善をした

 

どれも日本の中小企業ではよくある話しですよね。

 

製造業では、現在サプライチェーンが進み、国内の生産をできるだけ抑え、海外で

製造することで人件費を抑えて、その分利益を確保するというのが常道でした。

 

しかし今回のコロナ禍によって、中国に依存していた企業は部品が調達しに

くくなり、国内の組み立てに大変な支障をきたすこととなり、経済に大きな

ダメージを与えています。

 

また、今までは中国は「世界の工場」として、安い人件費を盾に海外の投資

を呼び込み、先進国がこぞって中国に工場をつくり、そこで作ったものを国内

で売るということをしてきましたが、現在では中国の人件費も高騰しており、

以前のような安い人件費は期待しずらくなっております。

 

 

現在の日本の政府の方針として、国内の企業同士をやたらと合体させて大きく

しようとさせたがっていますが、そもそも日本の強味というのは、まさに

「中小企業のもつ技術」であるので、やたらと合体させて大きくしても、強くは

ならない。

このショウワのように、日本に数多くある中小企業こそが、日本の経済を実は

技術で支えているのです。

 

また遅れている半導体産業なども、日本はこれからますます力を入れていかなけ

れば、今回のコロナ禍で経験した「半導体不足」によって、国内の生産が止まって

しまうという教訓を生かすことができなくなるでしょう。

 

そういった意味でも、この「ショウワ」の心意気に、熱い声援を送ってほしいと

切に願っています。

 

 

※ちなみに、現在はSNSの発信によってショウワのマスクの注文が殺到して

おり、Amazonでも入荷待ちとなっております。

 

 

 

一番最初の天皇 神武天皇  ⑳

  

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 (出典:国史絵画)

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

神武天皇が故郷の日向を出発して、近畿地方の大和にて最初の天皇

として即位するまでの物語の20回目です。

 

 

 

 <前回の続きから>  

 

 古事記

《忍坂(おしさか)の大室に至りたまふ時に、尾生(お)ふる土雲(つちぐも)

の八十建(やそたける)其の室に在り、待ちいなる》

 

宇陀から奈良盆地に進軍したイハレビコ(神武天皇)。

この忍坂は現在の奈良県桜井市忍坂。

尾生ふるとは、吉野河でイハレビコに恭順した石押分之子(いはおしわくのこ)

に使われていた表現。

土雲とは長く胴体の短い穴居生活者を指し、大和政権に従わない先住民

に対する蔑称です。

 

新たに現れた地元の抵抗勢力に対して、古事記では

《饗(あへ)を八十建に賜ふ。是に八十建に宛て、八十膳夫(やそかしはて)

を設け、人毎(ごと)に刀を佩(は)け、其の膳夫等に誨(おし)へ曰(の)り

たまはく、「歌うを聞かば、一時共(もろとも)に斬斬れ》

 

と、土雲たちを饗応し、その一人一人に太刀を身につけた給仕夫を付け、歌を

合図に斬りかからせます。

 

古事記

《一時に打ち殺しつ》

 

イハレビコ忍坂を平定しました。

 

 

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(出典:「歴史人」より」

 

 

 

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いまさら「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」の音楽を語る

 風の谷のナウシカ

(出典:スタジオジブリ © 1984 Studio Ghibli・H)

 

 

みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。

 

さ~て夏といえばジブリ!」 とイメージされる方も結構多いのでは

ないでしょうか?(今ではすっかり定着化されている感があります)

 

ということで今回は「風の谷のナウシカ」の音楽について語ってみます。

(約一年程前の記事を加筆いたしました)

 

 

とはいえ・・・

 

『この「風の谷のナウシカ」を語らしたらまけへん

でぇっ!!』<(`^´)>

(関西以外の地域の方は、それぞれの方言に変換して言ってみて下さい)

 

という方が星の数ほどみえるかと想いますが・・・

 

まあ・・・ それはそれとして、今回は語り尽された感のある

風の谷のナウシカ

についてを、さらに少々深彫ってみます。

 

では、まずはこちらの音源をお聴きください。

 

こちらは、「Synphonic poem ”NAUCIKAA”」

のバージョンですね。

 

こちらは他にあります有名な武道館のバージョンと違い、オーケストラの編成も

小さく、少年少女合唱団もないせいか、過剰な演出というものがなくて、久石さん

流のオーケストレーションをよく聴くことができて、違う意味で新鮮ですね。

 

この曲の最初の出だしのティンパニの連打の音を聴くと、この映画の始まりも

さることながら

スタジオジブリの幕開けじゃー」という感じがするんです

よね。

いよいよこれから、宮崎駿監督と久石譲さんとの闘い(いい意味で)が始まる、

みたいな。

 

こうして改めて聴き直してみますと、宮崎駿監督の画に負けてないですよね、

久石譲さんの音楽って。

世界最高と言っても過言ではないアニメーションの技術をもつ宮崎駿監督の迫力

ある映像に対して、がっぷり四つで組んでいる。

 

高畑勲さんは、かつて「久石さんの音楽は無邪気なところがあるから、宮崎駿さんと

合う」的なことを仰ってましたっけ・・・。 

 

ナウシカは映画初公開以来今年で35年くらい経つわけですが、映画や

武道館コンサートなどにしろ日本や世界中に、そのアニメ・ナウシカ

イメージが広がり、そして少なからずそれを観たり聞いたりした人々の

精神や思考にも影響を与えているでしょう。

 

最初は宮崎駿監督一人の頭の中にいたナウシカが、こうして世界中の人の

ナウシカを想う想念・エネルギーが集合すると、実際にナウシカという人物

のエネルギーが結晶化して生まれてしまうのでは、とまで思ってしまいます。

 

何もなかったところに、多くの人の念のエネルギーが一つになると、そこに

いつしかナウシカという一つの想念による集合体が作りだされててしまう、

みたいな。

 

特に「ナウシカレクイエム」なんて聴くと、聴いた人達の意識はアニメの

ナウシカ」を想う。実在する人物でもないのにね・・・。

 

この空想・・・ていうのがいいんですかね('ω')

空想のナウシカに想いを投入してしまう・・・

世界レベルの映像と音楽が組み合わさると、人間の意識まで変えてしまう。

 

 

 

さて余談ですが、個人的にはこのナウシカの「風の伝説」も好きなのですが、

天空の城ラピュタ」の音楽も好きなんですが、なんか久石さん、なかなか

やってくれないんですよね。

 

YOU TUBEで探しても出てくるのは、いつも「パズーが吹くトランペットの曲

(スラッグ渓谷の朝)」か合唱の「君をのせて」ばかり・・・

 

パズーのトランペットのメロディーって、そんなに繰り返してまで聴きたいと

思わないんだけど・・・

ラピュタの音楽って他に良いのたくさんあるので、そっちの方が聴きたいのにな

・・・

生演奏でね。

 

特に、冒頭のシータがゴリアテから落ちてからのメインテーマ「空から降ってきた

少女」と、パズーとシータがラピュタに初めて上陸して探索に出るところの音楽とか・・・

 

 

 

と、ところが・・・

 

 

 

※なんと、記事を書いたのが2日前でしたが、いくら探しても出てこなかった

曲を、香港で久石さんが演奏されていました。

 

 ありました(≧◇≦)出てきましたよ!

天空の城ラピュタ」の聴きたかった音源が(^_-)-☆ヤッター

 

さらに、この記事を書いてから最近見つかったのが「交響組曲天空の城ラピュタ

              ☟

 

聴いていると、映画の「あっ!あの場面・この場面」と映像が自然と浮かんで

きます。

映画の サウンドトラックでは、それぞれの曲に題名がきちんとついているのですが、

それらを一つの組曲として繋げています。

 

 最後のあたりにくると、感動しますよ(∩´∀`)∩

 

 こういった久石さんの音楽でジブリワールドにじっくり浸るのも、また幸せな

ひとときですよね(^^♪

 

 

ということで今回は「風の谷のナウシカ」と一部「天空の城ラピュタ

を勝手に語ってみました。